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若きカート・コバーンの悩み
https://kunion.repo.nii.ac.jp/records/2232
https://kunion.repo.nii.ac.jp/records/2232546dfcce-b96a-4142-9eb6-9ab255e29fcb
Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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公開日 | 2020-05-27 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 若きカート・コバーンの悩み | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | The Sorrows of Young Kurt Cobain | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
キーワード | ||||||
主題 | 資本主義リアリズム, 新自由主義, 憑在論, 加速主義, アシッド共産主義 | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
アクセス権 | ||||||
アクセス権 | metadata only access | |||||
著者 |
宮入, 恭平
× 宮入, 恭平× Miyairi, Kyohei |
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抄録 | ||||||
内容記述 | これまでも音楽は、芸術の名のもとで、無垢で純粋な存在として語られてきた。その一方で、体制に抗う手段として、その粗野な存在が描かれもしてきた。しかし、たとえどのような音楽であれ、資本主義の枠組みから逃れることはできないという事実を目の当たりにすることになる。もちろん、それを否定的(あるいは悲観的)にとらえることもできれば、肯定的(あるいは楽観的)にとらえることもできる。本稿では、イギリスの批評家、マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』、『わが人生の幽霊たち』、そして、遺稿となった未完の「アシッド共産主義」における議論に注目しながら、資本主義リアリズムのオルタナティブとしてのアシッド共産主義への転回の過程を考察する。そこから、現在の新自由主義的な後期資本主義社会における音楽文化の立ち位置が明らかになる。 | |||||
書誌情報 |
研究紀要 en : Kunitachi College of Music journal 巻 54, p. 165-174, 発行日 2020-03-31 |
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年次 | ||||||
年次 | 2019 | |||||
出版者 | ||||||
出版者 | 国立音楽大学 | |||||
ISSN | ||||||
収録物識別子 | 02885492 |