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  1. 研究紀要
  2. 54 (2019)

歴史に刻まれたシュテティンの演奏会 : カール・レーヴェは「孤島の王」だったか?

https://kunion.repo.nii.ac.jp/records/2224
https://kunion.repo.nii.ac.jp/records/2224
3215988c-af4d-4208-9ebe-c7f4c03c43ee
Item type 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1)
公開日 2020-05-27
タイトル
タイトル 歴史に刻まれたシュテティンの演奏会 : カール・レーヴェは「孤島の王」だったか?
タイトル
タイトル Historische Konzerte in Stettin : Ob Carl Loewe „der König eines einsamen Eilandes“ war?
言語
言語 jpn
キーワード
主題 《夏の夜の夢》序曲初演, シュテティンでの《マタイ受難曲》復活上演, メンデルスゾーンとレーヴェ
資源タイプ
資源タイプ departmental bulletin paper
アクセス権
アクセス権 metadata only access
著者 瀬尾, 文子

× 瀬尾, 文子

WEKO 3893

瀬尾, 文子

ja-Kana セオ, フミコ

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Seo, Fumiko

× Seo, Fumiko

WEKO 3894

en Seo, Fumiko

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抄録
内容記述 1842年の新聞記事で、シューマンはレーヴェを「孤島の王」と呼んだ。プロイセン王国の首都ベルリンから約150kmの都市シュテティンで当時すでに二十年間、市音楽監督を務めていたレーヴェは、はたして本当に「世間の動向」に疎い音楽家だったのか。本稿は、彼の指揮下に行われた二つの音楽史的に重要な演奏会――メンデルスゾーン《夏の夜の夢》序曲初演(1827年)とバッハ《マタイ受難曲》復活上演(1831年)――に焦点を当て、シュテティン市民が他のヨーロッパ諸都市に劣らぬ先進的な音楽文化を享受していたことを明らかにする。レーヴェはまだ無名だった若きメンデルスゾーンの天才をいち早く見出した人物であると同時に、バッハの伝統の真なる継承者として復興運動の先端に立つ音楽家であった。従来、一般にはバラード作曲家としてのみ知られていたレーヴェの、市民音楽文化発展の功労者としての顔がここから新たに見えてくる。
書誌情報 研究紀要
en : Kunitachi College of Music journal

巻 54, p. 79-90, 発行日 2020-03-31
年次
年次 2019
出版者
出版者 国立音楽大学
ISSN
収録物識別子 02885492
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Ver.1 2023-07-25 10:08:10.683866
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