@article{oai:kunion.repo.nii.ac.jp:00002224, author = {瀬尾, 文子 and Seo, Fumiko}, journal = {研究紀要, Kunitachi College of Music journal}, month = {Mar}, note = {1842年の新聞記事で、シューマンはレーヴェを「孤島の王」と呼んだ。プロイセン王国の首都ベルリンから約150kmの都市シュテティンで当時すでに二十年間、市音楽監督を務めていたレーヴェは、はたして本当に「世間の動向」に疎い音楽家だったのか。本稿は、彼の指揮下に行われた二つの音楽史的に重要な演奏会――メンデルスゾーン《夏の夜の夢》序曲初演(1827年)とバッハ《マタイ受難曲》復活上演(1831年)――に焦点を当て、シュテティン市民が他のヨーロッパ諸都市に劣らぬ先進的な音楽文化を享受していたことを明らかにする。レーヴェはまだ無名だった若きメンデルスゾーンの天才をいち早く見出した人物であると同時に、バッハの伝統の真なる継承者として復興運動の先端に立つ音楽家であった。従来、一般にはバラード作曲家としてのみ知られていたレーヴェの、市民音楽文化発展の功労者としての顔がここから新たに見えてくる。}, pages = {79--90}, title = {歴史に刻まれたシュテティンの演奏会 : カール・レーヴェは「孤島の王」だったか?}, volume = {54}, year = {2020}, yomi = {セオ, フミコ} }