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J.S.バッハのカンタータ《Mein Herze schwimmt im Blut》BWV199における「悔い改め」の概念について
https://kunion.repo.nii.ac.jp/records/457
https://kunion.repo.nii.ac.jp/records/457bd413e8a-0ee6-4f75-915e-d18832164aa5
Item type | [ELS]紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||||||||
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公開日 | 2017-02-22 | |||||||||||
タイトル | ||||||||||||
タイトル | J.S.バッハのカンタータ《Mein Herze schwimmt im Blut》BWV199における「悔い改め」の概念について | |||||||||||
言語 | ja | |||||||||||
タイトル | ||||||||||||
タイトル | Zum Begriff der "Reue" in J.S.Bachs Kantate "Mein Herze schwimmt im Blut" BWV199 | |||||||||||
言語 | en | |||||||||||
言語 | ||||||||||||
言語 | jpn | |||||||||||
資源タイプ | ||||||||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||||||
アクセス権 | ||||||||||||
アクセス権 | metadata only access | |||||||||||
アクセス権URI | http://purl.org/coar/access_right/c_14cb | |||||||||||
雑誌書誌ID | ||||||||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||||||||
収録物識別子 | AN00034564 | |||||||||||
論文名よみ | ||||||||||||
タイトル | J.S.バッハ ノ カンタータ Mein Herze schwimmt im Blut BWV199 ニオケル クイ アラタメ ノ ガイネン ニツイテ | |||||||||||
著者 |
小島, 芙美子
× 小島, 芙美子
× Kojima, Fumiko
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著者所属(日) | ||||||||||||
国立音楽大学音楽研究科 | ||||||||||||
抄録(日) | ||||||||||||
内容記述タイプ | Other | |||||||||||
内容記述 | ヨハン・ゼバスティアン・バッハJohann Sebastian Bach(1685~1750)のカンタータ第199番《私の心は血の中を泳ぐMein Herze schwimmt im Blut》(1713年初演)は、数少ないソプラノ・ソロ・カンタータ作品の1つである。そして、私自身が実際に、初めてバッハのカンタータ全曲の演奏に取り組んだ、思い出深い作品でもある。詩人ゲオルグ・クリスティアン・レームスGeorg Christian Lehms(1684~1717)は、歌詞台本の中に、「私」という人物を登場させ、その心の変容、すなわち「悔い改め」のプロセスを描いた。「悔い改め」とは、キリスト教の信仰において、最も重要な心的行為の1つである。それは、深いルター派プロテスタント信仰を持っていたバッハの宗教曲を理解するために、重要なキーワードになっている。では、バッハは、「悔い改め」をどのように表現したのであろうか。その問題を考察していく最初の手がかりとして、カンタータ第199番を取り上げた。聖書、及びルター派プロテスタント思想の理解をまず念頭に置きながら、カンタータ全曲の歌詞を研究していった結果、バッハのカンタータのテキストが、単に自由詩であるのではなく、詩人レームスのとても深い聖書理解と、整合された聖句箇所の組み合わせによって、テキスト全体が成り立っていることを、改めて実感することができた。この作品では、「私」が主人公である。演奏するものにとっても、「私」は私自身に置き換えられる。それは、ひとつ間違えると、曲の持つすさまじいまでの感情に、演奏者が埋没しかねないことをも意味する。しかし、第4曲目の「悔い改め」のアリアが持つ、その穏やかな音楽の中で、演奏者、そして聴き手は、なんともいえない安らぎに満たされることだろう。それは「悔い改め」という概念が、人にとって、宗教や時代という枠を超えた、普遍的なものであるからなのかもしれない。バッハの声楽曲を演奏する者は、歌詞(言葉)の理解を第一に求められる。そこで今回の論文は、作品に用いられたテキストの理解を研究の目的としている。 | |||||||||||
書誌情報 |
音楽研究 : 大学院研究年報 巻 21, p. 49-64, 発行日 2009-03-31 |
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表示順 | ||||||||||||
内容記述タイプ | Other | |||||||||||
内容記述 | 4 | |||||||||||
アクセション番号 | ||||||||||||
内容記述タイプ | Other | |||||||||||
内容記述 | KJ00005198159 | |||||||||||
ISSN | ||||||||||||
収録物識別子タイプ | ISSN | |||||||||||
収録物識別子 | 02894807 |