@article{oai:kunion.repo.nii.ac.jp:00000511, author = {鈴木, 麻菜美 and Suzuki, Manami}, journal = {音楽研究 : 大学院研究年報}, month = {Mar}, note = {イスラム神秘主義の一宗派であるアレヴィー派は、宗教儀礼ジェムにおいてイスラム教の儀礼では忌避されているはずの音楽、特に民俗楽器サズや、宗教的内容を含んだ民謡を用いる。そのような宗教儀礼をはじめとする慣習の違いが要因の一つとなり、トルコにおける多数派であるスンニ派などからは異端視され、社会的マイノリティとして扱われてきた。 アレヴィー派の儀礼音楽は、本来村単位程度の小さなコミュニティの中で行われてきたものである。しかし昨今、その音楽や舞踊は、一般民衆やメディアへの公開、儀礼の場から離れての演奏など、行われる「場」や「意義」がかつてより広がりを見せている。その要因として、現代における信徒の都会への移動やコミュニティの拡散、情報伝達手段の発達などによるコミュニティ間での交流、1959年のEEC (その後のEC及びEU)成立にともない、ヨーロッパの共同体加盟を目指してきたトルコ政府が1980年代以降に示した政策転換によるマイノリティへの緩和策に起因するアレヴィー派の社会的立場の変化などが考えられる。そうしたアレヴィー派の社会的環境の変化によって彼らの文化にも変化がもたらされ、「宗教儀礼の一部」としてのみでなく、アレヴィー信徒によって外部への「アイデンティティの提示」や「コミュニティの象徴」として音楽や舞踊を活用されていると受けとめることができるのではないだろうか。本論文では変化を表している例の一つとして、1964年以降、毎年西暦の8月にアレヴィー派の聖地ハジュベクタシュ村で行われている記念祭「ハジュ・ベクタシュ・ヴェリ追悼祭Haci Bektas Veli Anma Torenleri」におけるジェムでの儀礼に基づく芸能を検討し、現代におけるアレヴィー派やその音楽の社会的状況に関する文献等の資料による情報を基礎として踏まえた上で考察した。トルコ政府はアレヴィーをはじめとするマイノリティへの規制緩和とともに、マイノリティが持つ固有の文化を「トルコの文化」の一部として受け入れようとする動きを見せた。この折にアレヴィー派側からもセマーやアレヴィー音楽を自らのアイデンティティとして打ち出していく動きが生まれ、その結果の一つがこの記念祭である。行われるアレヴィー音楽およびセマーは、本来の宗教儀礼とは異なる「公開」でのものであり、「場」や「目的」のために伴奏の構成や手順などを改変し、「ステージ化」している。本論文で取り上げた文化活動は都会への移動により拡散しつつあったアレヴィーのコミュニティとしてのつながりを再結集する働きもあり、また公開セマーやアレヴィー音楽のコンサートはアレヴィー信徒、特に都会で生まれ育った若者たちに「自らの文化」としての再認識を促すものである。またこれらの活動によりアレヴィー音楽はアレヴィーのコミュニティ外でも視聴され大衆文化の一つとして受け入れられており、今後の調査対象として意義深いと考える。, 4, KJ00010210822, 論文}, pages = {49--64}, title = {トルコにおけるアレヴィーとアイデンティティとしての音楽 : ハジュベクタシュ村の記念祭を通して}, volume = {28}, year = {2016}, yomi = {スズキ, マナミ} }