@article{oai:kunion.repo.nii.ac.jp:00000509, author = {白石, 美雪 and Shiraishi, Miyuki}, journal = {音楽研究 : 大学院研究年報}, month = {Mar}, note = {本論文は1980年代前半の日本における「ケージ現象」の解明のために、『朝日新聞』『毎日新聞』『読売新聞』に掲載された署名・無署名の記者・評論家による記事の目録を提示することを目的とする。これら3大紙は現在、インターネットを通じたデータベースとして記事検索のシステムが公開されているものの、こうしたデータ検索では、今回の目録にあげた多くの記事が検索対象とされないことが明らかになった。本目録は1980年1月1日から1985年12月31日までに発行された3大紙について、縮刷版に収録された東京版の朝刊・夕刊から、ジョン・ケージの名前が本文に含まれる記事すべてを列挙している。その結果、目録には111点の新聞記事をあげることができた。 今回、調査対象とした6年間は著作集『音楽の零度』や対談集『ジョン・ケージ 小鳥たちのために』の翻訳など、日本語によるケージのインタビューや対談が次々と紹介された。また、音楽学の基礎的な研究が進む傍ら、哲学、思想、文学系の評論家など幅広いジャンルの論者がケージを扱った。 こうしたことを背景に、新聞記事の分析からはケージのイメージが一般に定着したことがわかる。80年代前半には2度の来日があり、最初は1981年の7月29日から8月13日まで、軽井沢・高輪美術館のマルセル・デュシャン展を未亡人とともに訪れ、一柳慧企画の演奏会「ミュージック・イン・ミュージアム」に参加した。続いて82年6月初旬にも武満徹監修の「今日の音楽10」のために来日して、日本初演作品の演奏会と講演会に出演している。しかし、いずれの場合も60年代とは対照的に、人物紹介や来日そのものをニュースで伝える記事はなく、演奏会評もわずかだった。その一方で、ケージの音楽に興味をもつ一定の読者層は想定されていて、演奏会や放送番組の告知は丁寧になされた。また、ケージと交流関係にあった、あるいはケージに影響を受けた人物の紹介で短く名前に触れた記事も多くみられる。浜田剛爾やナム・ジュン・パイクなど、ポスト・ケージ世代がケージの思想の核心を正しく受けとめていたこともわかった。 当時、流行しはじめたパフォーマンスを扱った批評記事では歴史上の先駆者として、ケージの活動を位置づけていたのが興味深い。さらに東洋との関わりについても、もはや音楽や演奏関係の記事ではほとんど触れられていなかったが、中沢新一の記事と来日したアメリカ人からの言及があった。こうしてケージのイメージが一般に定着し、従来とは別の角度から再解釈する論考が現れたことがわかる。作品の演奏も増え、定着した聴衆層が形成されたことが伺える。「衝撃」として受容が始まった60年代から「過渡期」としての70年代を経て、80年代にはケージ現象が新たな段階に入ったと言えよう。, 2, KJ00010210820, 論文}, pages = {17--32}, title = {1980年代前半の3大新聞にみるジョン・ケージ : 記事目録と分析}, volume = {28}, year = {2016}, yomi = {シライシ, ミユキ} }