@article{oai:kunion.repo.nii.ac.jp:00000493, author = {沼口, 隆 and Numaguchi, Takashi}, journal = {音楽研究 : 大学院研究年報}, month = {Mar}, note = {ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンLudwig van Beethoven(1770~1827)の《幻想曲》Op.77は、この作曲家が残した唯一の独奏用の幻想曲である。しかし、現在でもベートーヴェンの作品としては知名度が低く、演奏回数も限定されている。19世紀における演奏に関しても、音楽雑誌の記述から演奏記録を調べると、やはり公開演奏はあまり行われていなかったことが窺われる。その一方、ハンス・フォン・ビューローHans von Bulow(1830~94)やヨハネス・ブラームスJohannes Brahms(1833~97)の演奏活動からは、彼らがこの作品を好んで演奏していたことが分かる。音楽雑誌の調査から得られる結果と、西洋音楽史における重要な音楽家たちが好んで取り上げていたという事実の間の齟齬は、一体どこから生じるのであろうか。この問題を究明することは、演奏史の記録はいかにして辿ることができるのか、またそれを叙述する上で留意すべきことは何かを考えることにほかならない。本稿は、ベートーヴェンの《幻想曲》Op.77を対象としつつ、19世紀の演奏史を考察する上での諸問題を明らかにし、それを踏まえてひとつの作品像の再構築を試みたものである。はじめに、作品が小規模になると演奏記録を集めるのが困難になることを確認し、情報収集の手段として音楽雑誌の利用が有効であることを示した。ただし、オンラインで提供されている『国際音楽雑誌目録Repertoire international de la presse musicale』は、膨大な情報を横断的に調査できる点できわめて便利であるが、網羅的に情報を洗い出せるわけではない。検索結果の扱いに関する注意点、ほかに目を配るべき雑誌、その他の情報源という3点の問題点について指摘した。次に、30年分の『音楽新報Neue Zeitschrift für Musik』を調査した結果をもとに《幻想曲》Op.77の演奏史の再構成を試みた。そこからは、確実に何度も演奏していたはずの有名な演奏家たちの演奏が、ごく僅かにしか伝えられていない一方で、今や足跡を辿ることさえ困難な演奏家たちも演奏していたという事実が明らかになった。雑誌に記録された演奏が一部に限定されていたという点から類推すれば、さらに多くの、さまざまな水準の音楽家たちが演奏し続けていた可能性が充分に想定されることになる。最後に、19世紀当時にも「稀にしか演奏されない」と評されていた《幻想曲》Op.77を着実に演奏し続ける人々がいたのはなぜなのかを考察した。カール・チェルニーCarl Czerny(1791~1875)の証言と理論に依拠すれば、《幻想曲》Op.77は、作曲された当時にはすでに姿を消しつつあった自由ファンタジーであった。その一方でベートーヴェンは、自由ファンタジーの要素とソナタ形式を中心とした既存の枠組みとを融合し、両者の境界を曖昧にするという流れの中で、先導的な役割を果たしていた。こうした観点からすれば、純粋な自由ファンタジーとして作曲されている《幻想曲》Op.77は、作曲家が意識的に残した歴史的ドキュメントであったとも解釈できる。ビューローもブラームスも、こうした意味合いを何らかの形で読み取って、レパートリーの中で位置づけたのであろう。音楽作品の演奏史の研究は、情報量の多寡を統計的に示すことばかりを目的とするものではない。本稿では、ひとつの作品に焦点を絞りながらも、演奏史の研究が、表面的には読み取りづらいものをも範疇に収められることを示し、演奏史研究の大きな可能性の一端を示した。, 1, KJ00009244693, 論文}, pages = {1--16}, title = {19世紀におけるベートーヴェンの《幻想曲》Op. 77 : その演奏史の叙述法に関する考察}, volume = {26}, year = {2014}, yomi = {ヌマグチ, タカシ} }