@article{oai:kunion.repo.nii.ac.jp:00000492, author = {川崎, 瑞穂 and Kawasaki, Mizuho}, journal = {音楽研究 : 大学院研究年報}, month = {Mar}, note = {「構造主義の父」とされるフランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009)は、神話研究の領域で殊に優れた業績を遺したが、主著『野生の思考』(1962年)は、構造人類学の重要な出発点となっている。『野生の思考』の第1章「具体の科学」は、芸術について研究する上でも非常に示唆的である。特にそこで提示される「器用仕事(ブリコラージュ)」としての「野生の思考」は、現代においてもなお、多くの芸術作品に見出すことができるように思われる。 本稿ではその一例として、1996年に発売されて大ブームとなったテレビゲーム『サクラ大戦』の分析を行った。特に楽曲分析を中心にして、『サクラ大戦』にブリコラージュ的手法が用いられていることを示し、現在のような「非真正な社会」においてもなお、芸術の分野には神話的思考の残滓が存在することを明らかにした。 第1章「『サクラ大戦』の歴史とその器用仕事(ブリコラージュ)的手法」では、『サクラ大戦』の歴史を概観し、3つの先行研究について述べた。そして、山田利博の論文「テレビゲーム『サクラ大戦』の文学性」(『宮崎大学教育文化学部紀要』)において提示される「引用の織物」としての『サクラ大戦』の特徴が、ブリコラージュとして読み替えうる可能性について述べた。 第2章「『サクラ大戦』の楽曲《さくら》にみる器用仕事(ブリコラージュ)的手法」では、その顕著な例として、『サクラ大戦』の中の楽曲《さくら》(1996年)を分析した。分析の結果、この楽曲は、滝廉太郎の歌曲集《四季》の第1曲〈花〉(1900年)を土台にして、そこに《さくらさくら》(筝曲)を挿入することで「桜」を表象していることが明らかになった。 しかし、このような手法は「コラージュ」にすぎないという反論は十分可能である。ブリコラージュは、集められた断片の固有の多義性を保ちつつ創造活動を行なうものであるわけであるが、『サクラ大戦』には、このようなブリコラージュ独自の特性を顕著に示す要素もある。それは『サクラ大戦』という題名である。 第3章「『サクラ大戦』と宝塚歌劇団--《花咲く乙女》と《すみれの花咲く頃》」では、『サクラ大戦』という名称における「桜」の意味を考究した。まず『サクラ大戦』全体に散見される「宝塚へのあこがれ」について概観したが、そこでは特に『サクラ大戦』のエンディングテーマソング《花咲く乙女》と、宝塚歌劇団の《すみれの花咲く頃》の比較分析を行なった。そして次に、『サクラ大戦』と同じく宝塚歌劇団を目指した松竹歌劇団について概観した。なぜなら松竹歌劇団の主題歌は《桜咲く国》という「桜」を主題にした楽曲だからである。そこから、宝塚歌劇団と帝国歌劇団(『サクラ大戦』)との関係は、宝塚歌劇団と松竹歌劇団との隠喩的関係にあるという仮説を提示した。 そして第4章「結論と展望」では、『サクラ大戦』におけるトーテム的分類の論理を考究する必要性を述べた。, 8, KJ00008398806}, pages = {109--120}, title = {『サクラ大戦』のブリコラージュ : テレビゲームにおける神話的思考}, volume = {25}, year = {2013}, yomi = {カワサキ, ミズホ} }