@article{oai:kunion.repo.nii.ac.jp:00000485, author = {沼口, 隆 and Numaguchi, Takashi}, journal = {音楽研究 : 大学院研究年報}, month = {Mar}, note = {オイレンブルクのミニチュア・スコアは、120年余りの歴史を誇り、きわめて知名度が高く、現在も1200タイトルを越えるシリーズの規模において他の追従を許さない。本稿の目的は、オイレンブルクがどのようにミニチュア・スコアの最初のレパートリーを成立させ、第二次世界大戦を迎えるまでの時期に、それをどのように変化させようとし、また変化させることができたのかを明らかにすることである。 第1節では、「ミニチュア・スコア」という用語とその定義について検討した。サイズについては、一義的に決めることはできず、その普及の背景には、個人がスコアを所持するということの意味が深く関わっている。そのため、スコアそのものが普及した時点にまで遡り、ミニチュア・スコアが誕生し普及した状況を追った。 第2節では、エルンスト・オイレンブルク(Ernst Emil Alexander Eulenburg, 1847-1926)が会社を設立し、ミニチュア・スコア・シリーズを確立・拡張していった状況を明らかにした。シリーズの確立にあたっては、ペーンとドナジョウスキというふたつの会社の買収が基盤となったが、これらについても、社史を踏まえて、オイレンブルクに吸収されるまでの経緯を述べた。また、レパートリー拡張においては、著作権が有効な作曲家に関して、出版権を獲得することが重要な方向性であったことを指摘した。 第3節では、エルンストの息子クルト(Kurt Eulenburg, 1879-1982)の時代の経営状況を、第二次世界大戦前夜まで追った。そこで中核を成していたのは、彼が掲げた3つの方針、すなわち批判校訂版の刊行、(父親の方針を引き継いだ)同時代の作曲家の作品の開拓、新シリーズ「Praeclassica」の創刊であった。 第4節では、創刊から第二次大戦までのレパートリーの変化について概観した。その中でも注目すべきは、現在では「大作曲家」に分類されるような作曲家達の作品の取り込みであった。他方で、新進の作曲家の作品を普及させようという試みは奏功せず、1941年刊行のカタログまでの間にシリーズから姿を消した作品もあることが明らかになった。 まとめにおいては、オイレンブルク社の初期の活動を6つの要点に整理し、その中でも「19~20世紀初頭のレパートリーの定着に貢献した」という点が重要であることを指摘した。しかし、その一方で着目すべきは、その後の定着の仕方や知名度において、それらのレパートリーが決して一様なものではないということである。当時の状況を知るためには、完全にレパートリーから外れていったものも含め、さまざまな作品が混在していた状況を丁寧に読み解いてゆくことが必要であり、それを今後の課題として挙げた。, 1, KJ00008398799}, pages = {1--15}, title = {オイレンブルク・ミニチュア・スコアの成立とその初期レパートリー : ミニチュア・スコアとは何かを踏まえて}, volume = {25}, year = {2013}, yomi = {ヌマグチ, タカシ} }