@article{oai:kunion.repo.nii.ac.jp:00000478, author = {服部, 慶子 and Hattori, Keiko}, journal = {音楽研究 : 大学院研究年報}, month = {Mar}, note = {本研究は、清瀬保二(1900-81)の《舞曲二曲》(1934)の楽曲分析から見た、日本洋楽史に於ける『チェレプニン・コレクション』の意義を考察するものである。ロシア人作曲家兼ピアニストのアレクサンドル・チェレプニンAlexandre Tcherepnin(1899-1977)は、1934年から「東洋への旅行」を始め、37年までの3年間に5度の来日をした。その間に彼が行った日本人作曲家との交流や「チェレプニン賞コンクール」、『チェレプニン・コレクション』といった事業は、日本洋楽史に於いてよく知られている。近年では、熊沢彩子氏の論文「アレクサンドル・チェレプニン-昭和初期に於ける影響」で、チェレプニンの日本に於ける活動、及び上述の事業に至った経緯が明らかにされた。しかし、チェレプニンの活動や業績に対する包括的考察はなされていても、『チェレプニン・コレクション』という楽譜集に限定し、その歴史的価値の検証や評価に基づく考察は未だされていない。そこで本論では、『チェレプニン・コレクション』とは何か、刊行目的や同時代の論評の捉え方も踏まえながら、清瀬保二《舞曲二曲》の楽曲分析を中心に、日本音楽史に於ける意義について考察した。第1節では、『チェレプニン・コレクション』第一回出版時に掲載された広告から、その刊行目的を明らかにした。それは、東洋人の感性で「西洋の行き詰まり」を打破するという国外向けと、『チェレプニン・コレクション』の作品群に正当な価値付けをし、個々に作曲活動を行っていた若き日本人作曲家の支援をすること、という国内向けの2つの目的であった。第2節では、同時代の雑誌記事から日本人評論家・作曲家による『チェレプニン・コレクション』の捉え方を考察した。ここで、チェレプニンは「民族的」、「西欧流和声の否定」という姿勢で『チェレプニン・コレクション』を刊行したのに対し、日本人評論家・作曲家は「日本的」、「東洋的」要素に「近代的」要素を加えた作品集という、より具体的に作品の特徴を捉えていたという結論に達した。第3節では、上述の特徴がどのような手法で作品に反映されているのか、清瀬保二《舞曲二曲》の楽曲分析から考察した。《舞曲二曲》は、「日本的」要素として日本旋法やリズムに特徴がみられた。しかし単に日本的な旋律を西洋楽器であるピアノに移し変える、或いは西洋音楽の手法に日本的情緒を加えるというのではなく、旋法一般という拡大した用い方や、構成音にない音を意図的に使うことによって全く別の音色を生み出している。この独自の音感覚を織り交ぜた「近代的」手法と「日本的」要素との融合が、作曲者の独創性を確立しているのである。この手法こそが、清瀬の《舞曲二曲》にみる『チェレプニン・コレクション』の作品特徴であると筆者は結論付けた。そして上述の作品特徴を踏まえた結果、日本洋楽史に於ける『チェレプニン・コレクション』の意義は、アカデミックな教育が一般的とされていた当時の日本音楽楽壇に、『チェレプニン・コレクション』の刊行によって新たな道の可能性を示したこと、という結論に至った。本稿の締めくくりには、今後の課題として『チェレプニン・コレクション』全ピアノ作品の楽曲分析、再校訂について述べている。, 5, KJ00006976819}, pages = {63--78}, title = {清瀬保二《舞曲二曲》の楽曲分析から見た『チェレプニン・コレクション』の意義}, volume = {23}, year = {2011}, yomi = {ハットリ, ケイコ} }