@article{oai:kunion.repo.nii.ac.jp:00000470, author = {戸澤, 史子 and Tozawa, Ayako}, journal = {音楽研究 : 大学院研究年報}, month = {Mar}, note = {本研究は、ザルツブルクの宮廷音楽家ヨハン・ミヒャエル・ハイドン (Johann Michael Haydn, 1737-1806) が1783年以降に作曲した111曲のグラドゥアーレに着目し、その創作の意義を、当時の教会音楽史に位置づけて考察したものである。18世紀ザルツブルクの典礼においては、本来のローマ・カトリック典礼でグラドゥアーレが歌われていた使徒書簡と福音朗読の間に、書簡ソナタ等の器楽曲が演奏されるのが通例となっていた。このような伝統が形成されることによって、グラドゥアーレというジャンルは、当時ほとんど姿を消していたのである。ここに再び光を当てたのが、M. ハイドンの創作であった。111曲におよぶグラドゥアーレは、カトリック教会暦の通年にわたって作曲されている。小論では、まず一連のグラドゥアーレの成立状況を整理し、とりわけ作曲家自身の自主性という部分に注目した。これらは、しばしばコロレード大司教が進めた教会改革との関連で言及されることが多かった。しかし、そのテクストの選択の仕方、作曲の時期、そしてM. ハイドンの神学的な関心といった点から考察した結果、作曲家自身が、この創作に対して明確な目的意識をもって取り組んでいたことは、ほぼ間違いないと思われる。さらに小論では、Hrncirikの先行研究を踏まえ、これらのグラドゥアーレを教会暦の「年間チクルス」という概念のもとに捉え、それが教会音楽史においてどのような位置を占めるのか、過去の作例をもとに検証した。その結果、ミサ固有文による「年間チクルス」の存在はごく限られており、グラドゥアーレに関しては、その作例を見出すことはできなかった。このことは、M. ハイドンの創作の特殊性を、より一層裏付けている。M. ハイドンは、この「年間チクルス」の完成という大きな成果を通じ、「グラドゥアーレ」というジャンルに、実際の典礼と音楽的価値とが密接に結びついた、新たな意義を与えることに成功したと言える。, 7, KJ00006096043}, pages = {91--106}, title = {ヨハン・ミヒャエル・ハイドンのグラドゥアーレ : 教会暦に基づく「年間チクルス」の構想をめぐって}, volume = {22}, year = {2010}, yomi = {トザワ, アヤコ} }