@article{oai:kunion.repo.nii.ac.jp:00000454, author = {江崎, 公子 and Ezaki, Kimiko}, journal = {音楽研究 : 大学院研究年報}, month = {Mar}, note = {成田為三は一般に「浜辺の歌」の作曲者として知られているが、成田の活動の全貌は未だ不明のままであったのではないだろうかという思いから、成田の活動を調べ直す作業を始めた。未公開の成田の自筆譜とNHKラジオ放送のためのオーケストラ作品との出会いがきっかけであった。著作を含めた作品リストを新たに作成したが、今回は著作を中心に述べる。秋田師範学校で音楽と出合った成田は、「音楽を知りたい」、「音楽の仕組みを知りたい」という思いから東京音楽学校甲種師範科に進む。山田耕筰に作曲を師事しいくつかの作品をまとめながらも、「本当の、真の日本の和声、対位法を探しだしたい」という願望と、日本の旋律も良いものであるならば「ハルモニー、コントラプンクト」を含んでいる筈だという信念を抱く。この信念は、ロバート・カーンとの出会いを生んだ。留学先のベルリンは当時ヨーロッパの芸術の最前線でもあった。時代は和声の解体であり、無調に向かっているときである。そのような時代にあってカーンの音楽は伝統の見直しと自然な響きの追及であり、愛情のこもった自然でありのままの旋律が特質であった。後期ロマン派のただ中にありながら、成田がカーンからうけとったものは、対位法、カノン、など音の響きの妙技を作り出す作曲技法であった。むしろ器楽や合唱で生きる手法であった。新しい市民社会の音楽を結ぶア・カペラの市民合唱は作曲家としての先進性の証でもあった。作曲のすべてのことを本気で身につけたかった成田は、帰国後、和声学、対位法、楽式、楽器編成の出版にエネルギーを注ぐ。そして自分の立場をどこに置くかというと、日本人であること、日本の血に流れ込んでいる邦楽の感覚を無視できないのであるから、日本音楽を視野にいれることを踏まえたうえで、対位法を根拠とすると述べる。「対位法中には日本の音階と等しいものはあるが、和声学の基礎である長・短両音階は日本音楽にない。」と考え、教会調を出発点とする純粋対位法(厳格対位法)の利点を強調する。成田にとって楽しく愉快を覚える教会旋法・純粋対位法であるが、戦後の主流は、シュテールの対位法であり、教会旋法はかげをひそめた。かろうじて岡本敏明が教育の場でのカノン・輪唱を提唱していたが、岡本の対位法は主として和声対位法で、輪唱を通じて和声感を育成する立場は、成田の対位法とは違うものであったと思われる。音の派手さや言の葉の意義に価値をおく昭和前期にあって、音の響きの妙技はなかなか認められるチャンスはなかった。作曲手法の多彩さにこだわり、変奏曲手法を好んだ成田の姿勢は批判も生む。歌詞への繊細な配慮のなさを指摘され、「志向の高い詩を選ぶべきだ」、「曲に劇的な展開がない」等の批評がなされた。この点は成田の作品リストとともに作曲作品の変化を踏まえ次回の課題とする。, 1, KJ00005198079}, pages = {1--16}, title = {成田為三とその作品}, volume = {21}, year = {2009}, yomi = {エザキ, キミコ} }