@article{oai:kunion.repo.nii.ac.jp:00002610, author = {小田, 怜 and Oda, Rei}, journal = {音楽研究 : 大学院研究年報, Ongaku Kenkyu : Journal of Graduate School, Kunitachi College of Music}, month = {Mar}, note = {作曲家の近藤譲、および彼が自身の音楽(あるいは音楽思想)をそう名指す「線の音楽」は現在ひろく知られている。彼の音楽は特殊奏法や微分音程、あるいは不確定性などを用いておらず、複雑な書き込みやテクスチュアの強烈な変化もなく、簡素で静謐で、それでいて全く懐古的でない。 一方でそうした近藤の作風は《オリエント・オリエンテーション》を嚆矢として1973年に始まったものであり、現在ほとんど知られていないそれ以前の近藤作品は、60年代の西洋前衛音楽の特徴を幅広く受容した作風である。近藤の極端な反-前衛的な作風の変化、それも単なる伝統への回帰とも異なる転向からは、西洋の前衛音楽を受容してきた当時の日本の現代音楽に対する、何かしらの問題提起を読み取ることができるように思える。 しかし、既存の近藤研究は「線の音楽」以前の音楽についてほとんど扱っていないうえに、論者の多くが英語圏の研究者であることもあって、日本語での近藤の発言が最小限しか参照されていない。またそれらは「線の音楽」の内容については言及しているが、それは近藤の発言の解説と補足にとどまっており、例えばその出自、つまりその思想に至る過程で影響を受けたことが自然と想像される、近藤が属する日本の作曲界の状況についての検討を行っていない。 こうした空白を埋める試みとして、本稿では「線の音楽」誕生以前、あるいは1979年の著書『線の音楽』出版以前の近藤の音楽や発言と、当時の日本の現代音楽界の状況とを検証することで、先行研究でも近藤自身の発言でも述べられていない、「線の音楽」の成立背景を明らかにする。 第一章では、近藤を主題とした先行研究ではないものの、極めて例外的に「線の音楽」以前の近藤の音楽についても言及している秋山邦晴『日本の作曲家たち』を参照し、70年代当時の近藤の音楽観と彼が置かれていた日本の作曲界の状況を整理する。第二章では、第一章で示唆されたケージとサティから近藤への特異な影響の在り方を、「無事」というキーワードに注意しつつ、これまでの研究で無視されてきた近藤の諸テクストと突き合わせることで論じる。第三章では、実際に近藤の作品を取り上げつつ、第二章で確認したサティを経由したケージからの特異な影響が「線の音楽」の以前と以後でどう具体化されているのかを比較し、その変化が音楽の在り方にもたらしたものを解釈する。結ではこれまでの議論を総合し、「線の音楽」という音楽的転換の背景と意義を当時の日本の現代音楽の潮流と照らし合わせて明らかにする。}, pages = {89--103}, title = {近藤譲「線の音楽」の成立 : 1960-70年代の日本におけるジョン・ケージ受容に照らして}, volume = {35}, year = {2023}, yomi = {オダ, レイ} }