@article{oai:kunion.repo.nii.ac.jp:00002607, author = {齋藤, 由香利 and Saito, Yukari}, journal = {音楽研究 : 大学院研究年報, Ongaku Kenkyu : Journal of Graduate School, Kunitachi College of Music}, month = {Mar}, note = {アレクサンダー・ツェムリンスキー Alexander Zemlinsky(1871–1942)の晩年の歌曲集《6つの歌曲 6 Lieder》が1934年1月に「作品22」として成立したとき、その終曲は〈私の魂の海の上を Auf dem Meere meiner Seele〉であった。しかしその約11ヶ月後に、ツェムリンスキーは新たな歌曲〈背中の曲がった小人 Das bucklichte Männlein〉を作曲し、これを〈私の魂の海の上を〉と置き換えて、作品22の新たな終曲とした。この終曲2曲は、詩、音楽ともに内容が大きく異なるため、どちらを終曲とするかによって、曲集の結末は変わることになる。作品への理解、ひいては演奏時における終曲選択の一助となるべく、本稿では、これらふたつの結末について考察した。 〈背中の曲がった小人〉を除く最初の6曲については、同時期に成立したツェムリンスキーのオペラ《白墨の輪 Der Kreidekreis》作品21(1930–32)の初演に関する一連の出来事について着目し、考察を行った。《白墨の輪》は1933年4月にドイツ4都市における同時初演が予定されていたが、ナチスが1933年1月の政権獲得後に行った非アーリア人への制限強化により、一度中止に追い込まれてしまう。同年10月にチューリヒにて初演を終えたが、年末には政権の方針に緩和がみられ、ドイツにおいても翌年1月16日に公演を迎えることとなった。自筆譜から特定された作品22の各曲の作曲日と照らし合わせると、〈私の魂の海の上を〉を終曲とした作品22のうち、第1–3曲がこのドイツ初演の前(10–12日)に、第4–6曲が初演に対する好意的な批評が出された1月18日の後(18–21日)に書かれていることがわかった。故にこれらの楽曲には《白墨の輪》のドイツ初演に至るまでのもの(第1–3曲)と、その後の反響を受けてのもの(第4–6曲)という、異なるふたつの心境が反映されていることを指摘した。 一方、〈背中の曲がった小人〉を作曲した動機として考えられる要素としては、当時「背中の曲がった小人」が「ユダヤ人の身体的特徴である」として広く認識されていたことや、反ユダヤ主義をとりまく議論がなされていたこと、かつての恋人アルマ・マーラー=ヴェルフェルとの再会、ヒンデミット事件が挙げられた。これらと照らし合わせると、〈背中の曲がった小人〉は、小人に暗示されたユダヤ人(=作曲者)がアーリア人に「あなたと同じ人間としてみておくれ」と訴えるものと解釈される。 本研究対象の7曲の分析からは、ほとんどの楽曲が前後の曲と何かしらの繋がりを有しているのみならず、隣接しない楽曲同士においても、複数の共通要素がみられることがわかった。この事実はどちらの曲を終曲に置いたとしても変わることがない。つまりいずれの曲を結末としても、本曲集はツィクルスとして成立しうることを示している。そしてその結末は、〈私の魂の海の上を〉で終える場合、血筋のもたらす不幸の精神的な克服を力強く語るものであるが、〈背中の曲がった小人〉で終える場合には、寓話的描写のなかで、異なる人種へひそやかに理解を希求するものとなるのである。}, pages = {35--51}, title = {アレクサンダー・ツェムリンスキー《6つの歌曲》作品22のふたつの結末}, volume = {35}, year = {2023}, yomi = {サイトウ, ユカリ} }