@article{oai:kunion.repo.nii.ac.jp:00002206, author = {齋藤, 由香利 and Saito, Yukari}, journal = {音楽研究 : 大学院研究年報, Ongaku Kenkyu : Journal of Graduate School, Kunitachi College of Music}, month = {Mar}, note = {本論文では、アレクサンダー・ツェムリンスキー(1871-1942)の歌曲集《12の歌曲》作品27(1937-38)について、自筆譜に残された多数の番号付け等の情報から曲順について再考し、作曲日順が演奏の際には妥当であることと、その曲順によって見られるテクストの配列や音楽連関から、チクルスとして意図されたことを主張した。また自筆譜に見られる曲順の迷いの理由を、歌曲集《6つの歌曲》作品22(1934)と共に作曲時にツェムリンスキーが置かれた状況に見ることにより、これらの歌曲集が当時の彼の心境が反映されたチクルスであると結論づけた。 作品27は、ツェムリンスキーが作品番号をつけた最後の、またアメリカ亡命(1938)前の最後の作品である。定職から離れ、約20年ぶりの故郷ウィーン在住時(1933-38)に書かれた作品群は、ベルクから「真にツェムリンスキーの音が感じられる」と称賛された《シンフォニエッタ》作品23(1934)も含み、彼の集大成だと考えられるが、当時の世情ゆえに、生前には殆ど出版されなかった。作品27は生誕100周年の再評価の折に出版されたが(1978)、自筆譜と比べると、間違いや抜けなどの問題がある。曲順にも疑義の余地があり、それに関連してチクルス性も検討課題となる。 第1節で先行研究を概観したのち、第2節では曲順を検討した。ツェムリンスキーは《抒情交響曲》作品18(1922-23)に関し、曲の配列と作曲により各曲を結び付けて、曲集に統一性を与えたことを言明し、演奏者にそれを理解して演奏するよう求めていた。同様のことが、他の曲集にも前提とされたことが推定できる。自筆譜に書かれた多様な数字は、彼が曲順に大変悩んだことを示している。各曲のタイトルが書かれたページの左端に書かれた数字において、最後に書かれたと見える数字を集めると1~11を網羅したため、12曲全曲を演奏するにあたり一番現実的なのはこの順番であると考えた。これは作曲日順、そして出版譜の曲順と同じである。しかし他にも、完成されていないがローマ数字によって大幅に構成の違う、一貫したテーマを持つ曲順も示されている。 第3節では、第2節で得られた曲順によりチクルス性を考察した。自筆譜からは、1937年に作曲した10曲をもって一度は完結させていたが、一年後に2曲を加えて「12 Lieder op. 27」としたことが読みとれた。テクストの選択と構成には過去の作品が意識されていると考えられ、チクルスである可能性を高めた。またその構成は、リート史においてチクルスの重要なテーマの一つである「旅」を表していると考えられた。音楽においても、複数曲に共通する音楽語法、歌曲集の中心となっている音(D)の存在、音楽的連関が見られることなどから、作品27が、この曲順によるチクルスとして意図されたと結論づけた。 更に第4節において、作曲時にツェムリンスキーの置かれた状況を見ることにより、作品22の終曲の変更や作品27の曲順の迷いには、彼の心境の変化が関わっていたと考えられた。どちらの歌曲集も没後出版であり、そもそも曲順が決定されていたか確言はできない。しかし以上の事情を踏まえると、作品27はツェムリンスキーの作曲当時の心境を反映したチクルスと見ることができるだろう。}, pages = {89--105}, title = {アレクサンダー・ツェムリンスキーの《12の歌曲》作品27 : 意図された曲順とチクルス性について}, volume = {32}, year = {2020}, yomi = {サイトウ, ユカリ} }