@article{oai:kunion.repo.nii.ac.jp:00002134, author = {樋口, 鉄平 and Higuchi, Teppei}, journal = {音楽研究 : 大学院研究年報, Ongaku Kenkyu : Journal of Graduate School, Kunitachi College of Music}, month = {Mar}, note = {ジョルジュ・アペルギス (Georges Aperghis) は、1945年ギリシアに生まれ、現在までフランスを拠点に活動する作曲家である。アペルギスは1977-78年、後に彼の最も知名度の高い作品の一つとなる《レシタシオン》を作曲する。声のソロのために書かれ、全14曲の〈レシタシオン〉(朗誦)から成るこの作品においては、解体された言語による特殊な技法が適用され、したがって従来的な歌曲に関するような研究方策を適用することはできない。一方アペルギスは、自身の創作に対するジョン・ケージからの影響を公言し、《レシタシオン》作曲時の「唯一の野心」も、「ジョン・ケージに続くような作品を書くこと」であったと述べている。しかしながら、こうしたアペルギスのケージ受容を系譜学的に研究した文献は現在まで皆無に等しい。本研究は、ジョルジュ・アペルギスの《レシタシオン》 を、ジョン・ケージ受容の系譜の中に位置付けることを提唱するものである。 ケージの著作集『サイレンス』(1961)の出版は、ケージが世界的な名声を獲得する最大の契機となった。それに続くいわゆる「ケージ・ショック」の時代においては、ケージ言説の受容は主として意味の「剥奪」に重点が置かれていた。『サイレンス』本文中に幾度となく登場する「音響そのもの」といった言説が、文字通りに音響に付随する意味の「剥奪」として受容されていた。 しかし、「言語がその限界を見出すとき、その瞬間に音楽が現れる」と語るアペルギスの創作は、言語の解体による意味の「剥奪」にとどまらず、音楽的・演劇的状況への「再構成」を語っている点において、ケージ・ショックの時代における多くの音楽家たちのケージ受容と一線を画している。 近年、現代の音楽の真の課題は 「音響そのもの」の意味の「再構成」だとする主張とともに、ケージによる意味の「剥奪」の言説を批判的に捉える視点が生まれてきた(Kahn 2001、中川 2010、Barrett 2016)。一方で、アメリカを中心とする多くの詩人たちは、ケージの『サイレンス』におけるナラティヴに新たな意味の「再構成」の可能性を見出している。ケージの創作を「自身の実在以外には何も言わない言語」として語るアペルギスは、この点においてアメリカの詩人たちのケージ受容と共通する。現代の詩人クレイグ・ドゥウォルキンがアペルギスの創作を「現代的作曲と音声詩の境界」にあると定義しているように、アペルギスの《レシタシオン》は、その特異なケージ受容によって位置付けることができるのではないか。}, pages = {141--157}, title = {《レシタシオン》における意味の剥奪と再構成 : アペルギスのケージ受容の系譜学的考察}, volume = {31}, year = {2019}, yomi = {ヒグチ, テッペイ} }