@article{oai:kunion.repo.nii.ac.jp:00002128, author = {今野, 哲也 and Konno, Tetsuya}, journal = {音楽研究 : 大学院研究年報, Ongaku Kenkyu : Journal of Graduate School, Kunitachi College of Music}, month = {Mar}, note = {G.フォーレ(1845-1924)の《5つのヴェネツィアの歌》(1891)では、P.ヴェルレーヌ(1844-96)の2つの詩集から歌詞が選ばれている。第2曲《ひそやかに》は、『雅なる宴』(1869)の第21編を歌詞としているが、「フォーレ終止」をはじめとする彼独特の和声技法は、敢えて「封じ手」とされているかにも見える。また、明確な動機労作が展開される一方で、しばしば終止感は曖昧で、楽曲区分に迷わされる局面も多々ある。これも彼なりのレトリックであろうが、原詩の模糊とした世界感が、(他の4曲と比べても)より淡泊な音楽表現で彩られていると言える。彼が比較的、好んだEs-durで書かれている点にも、意味が見出されよう(「思慮」「静寂」のイメージか)。以上の点に鑑みたときに、この歌曲を読み解く鍵は、和声技法そのものよりも、「和声構造」(調の配列に基づく楽曲全体の構成方法)にあると考える。本研究の目的は、こうしたフォーレの和声構造の構築手法の一端を検証すべく、原詩の検証も交えながら、《ひそやかに》の楽曲分析を展開することにある。 本研究は、この歌曲を[I1](第1~16小節)、[II](第17~32小節)、[I2](第33~47小節)と区分した。[I1]と[I2]部分は、音型的な類似性に加え、意図的に[a♮]音が強調される点、主調Es-durの求心力からは大きく逸脱しないなどの共通点から、およそ反復の関係にあると捉え得る。しかし、両者には決定的な差異もある。どちらかと言えば、終盤に顕在化する傾向のある下属調As-durが前半の[I1]に現れ、後半の[I2]では、むしろ属調B-durが強調されるという、古典の類型から見れば逆説的とも言える構造である。一般に属調は、緊張や高揚などを醸し出す調関係と言えようが、[I2]で歌われる内容は、むしろ「絶望の歌」である。[II]の和声構造は、Des-dur(♭×5)→Ges-dur(♭×6)→Ces-dur(♭×7)というドミナント進行が基軸となり、フラット系の調をさらに深化させる意図が明確である(いわば「翳り」の調関係)。[II]で歌われる内容は、この詩の主体「私」と「君」の恍惚とした世界感である。こうした和声構造と原詩とのパラドキシカルな組み合わせは、《ひそやかに》の大きな特徴と言えるが、脆く混沌とした内面世界を浮き彫りにする上で、過剰な和声技法はむしろ命取りにもなりかねない。フォーレをフォーレたらしめる語法が「封じ手」とされている理由も、慎ましやかな詩の内容に関連していることが、本稿の考察から詳らかにされよう。《ひそやかに》の淡い印象は(あくまで外観的なものだが)、原詩と深く関わっており、逆説的な和声構造の在り方も、禁欲的とも言える和声技法も、稀有な和声の使い手だからこそ可能となる一流のレトリックと理解すべきと本稿は結論付ける。}, pages = {35--52}, title = {G.フォーレの歌曲創作における和声構造の構築手法 : 《ひそやかに》作品58-2を対象として}, volume = {31}, year = {2019}, yomi = {コンノ, テツヤ} }