@article{oai:kunion.repo.nii.ac.jp:00002075, author = {上田, 泰史 and Ueda, Yasushi}, issue = {1}, journal = {研究紀要, Kunitachi College of Music journal}, month = {Mar}, note = {1848年、パリ国立音楽院ピアノ科教授ピエール=ジョゼフ=ギヨーム・ヅィメルマンは32年の勤務に終止符を打った。その理由は、修了者選抜試験で入賞者数を競い合うようになったアドルフ=フランソワ・ローラン教授との反目にあるとされてきた(Marmontel 1878)。だが、いかなる経緯で両者の関係が悪化していたのか、その詳細については明らかにされてこなかった。本論文では、主にフランス国立記録文書館(Archives nationales de France)の所蔵史料に基づいて、1841年と1848年に行われた同音楽院の総則の見直し、ならびにピアノ科のコンクール参加者数と修了選抜試験受賞者数の推移、そしてローラン教授の経歴を複合的に検討し、ヅィメルマンが定年を延長できたにも拘わらず、退職を決意した背景を明らかにする。}, pages = {1--12}, title = {パリ国立音楽院ピアノ科教授ジョゼフ・ヅィメルマン(1785~1853)の退任をめぐって : 同音楽院の内部資料から見るその背景}, volume = {53}, year = {2019}, yomi = {ウエダ, ヤスシ} }