@article{oai:kunion.repo.nii.ac.jp:00001976, author = {白石, 美雪 and Shiraishi, Miyuki}, journal = {音楽研究 : 大学院研究年報, Ongaku Kenkyu}, month = {Mar}, note = {本論文は1990年からジョン・ケージが死去した1992年までの日本における「ケージ現象」の解明のために、『朝日新聞』『毎日新聞』『読売新聞』に掲載された署名・無署名の記者・評論家による記事の目録を提示することを目的としている。これら3大紙は現在、インターネット上にデータベースとして記事検索のシステムが公開されているが、今回の目録にあげた多くの記事が検索対象とされないことが明らかになった。本目録は1990年1月1日から1993年12月31日までに発行された3大紙について、縮刷版に収録された東京版の朝刊・夕刊から、ジョン・ケージの名前が本文に含まれる記事すべてを列挙している。その結果、目録には114点の新聞記事をあげることができた。 今回調査した3年間にはケージ自身の著作の翻訳は出版されず、ケージを論じた書籍としては91年出版の庄野進の『聴取の詩学 J.ケージから、そしてJ.ケージへ』が挙げられる。雑誌では92年に『音楽芸術』でケージの追悼特集があったほか、追悼文が複数の雑誌に掲載された。しかし、全体としては数が少なく、80年代後半に続く空白期と言っていい。 こうした状況を踏まえて、この時期の新聞記事において、ケージとその音楽がどのように記述されたのか、若干の分析を試みた。1980年代からの傾向を継いで、読者がケージについての知識をもっていることを前提に、ほんの一節、ケージを引用するといった形が多い。その一方で、92年の追悼文では多くが初期の打楽器アンサンブルやプリペアド・ピアノの発明から始まり、《4分33秒》などの代表作に触れ、チャンス・オペレーションズの作曲法や東洋思想からの影響や日本との関わり、ケージの美術作品など網羅的に記述されている。 本格的にケージを論じた文章は少ないが、それらの記事を読んでみると、以前のような伝統の破壊者、実験音楽の旗手、偶然性・不確定性の創始者といった捉え方より、自然と芸術を同一のものと捉え、自然や環境の音に耳をすます作曲家といったイメージが浸透している。また、晩年のナンバーピースについての批評には「禅的な静」「禅問答さながら」という表現がある。偶然性・不確定性の音楽の聴取体験を経て、60年代、70年代、80年代と減少していた東洋に関する言説がここへきて増えているのは興味深い。さらに美術展のお知らせも6点、含まれていて、当時、ケージの美術作品や楽譜の展示が注目されていたことも確認された。 以上の分析により、1990年からの3年間はケージ受容がひと段落した80年代後半の傾向を引き継ぎながらも、ケージの創作が再び東洋思想と結びつき、自然や環境との関わり、聴くという行為が強調された。訃報を受ける形で、追悼文や回想文が記事となり、東洋の影響を受けたアメリカの大作曲家という位置づけが確定した時期と考えられる。}, pages = {17--33}, title = {1990年から92年までの3大新聞にみるジョン・ケージ : 記事目録と分析}, volume = {30}, year = {2018}, yomi = {シライシ, ミユキ} }